なぜ夏目漱石は『明暗』を『中動態』で書いたのか?/『中動態の世界 意志と責任の考古学/國分功一郎』と夏目漱石の『則天去私』思想

 2025年、日本哲学の世界でトレンドワードの「中動態の世界」。

 私は、國分功一郎先生の「自分たち自身を思考する際の様式を根本的に改める必要がある」という想い、思考の檻から脱獄しようとする姿勢に、感嘆、そしてとても共感しています。

 そして同時に、ある感想を持ちました。それは、「ああ、やっと夏目漱石に時代が追いついたのだな」そして「百年はもう来ていたんだな」と、いうものでした。なぜならば漱石の未完の絶筆『明暗』は、登場人物の心理描写の多くを、中動態で行っていたからです。そしてこの二つの作品は、同じ主題を扱っていると感じたからです。

 自分の四辺にちらちらする弱い電燈の光と、その光の届かない先に横たわる大きな闇の姿を見較べた時の津田には慥かに夢という感じが残った。
「おれは今この夢みたようなものの続きを辿ろうとしている。(中略)」
 この感想は一度に来た。半分と掛らないうちに、これだけの順序と、段落と、論理と、空想を具えて、抱き合うように彼の頭の中を通過した。

夏目漱石『明暗』 百七一

 彼(津田)は、宵の自分を顧みて、殆ど夢中歩行者(ソムナンビュリスト)のような気がした。彼の行為は、目的(あて)もなく家中彷徨(うろつ)き廻ったと一般であった。ことに梯子段の下で、静中に渦を廻転させる水を見たり、突然姿見に映る気味の悪い自分の顔に出会ったりした時は、事後一時間と経たない近距離から判断して見ても、慥(たし)か常軌を逸した心理作用の支配を受けていた。常軌に見捨てられた例(ためし)の少ない彼としては珍しいこの気分は、今床の中に安臥する彼から見れば、恥ずべき状態に違なかった。然し外聞が悪いと言う事を外にして、何故あんな心持になったものだろうかと、ただその原因を考えるだけでも、説明はできなかった。

夏目漱石『明暗』 百七十七 

 令和では、様々な特性や障害が可視化され、生きづらい人が多くいることが知られています。アルコール中毒をはじめとする依存症が、個人の意志の強さではどうにも回復できないことも、少しずつ知られてくるようになりました。そしてこのことは、なかなか日本人の腑に落ちない現実があります。それは、言語による認知の問題があるからです。「中動態の世界」は、この世界観を形作っている思考の檻、言語による認知にメスを入れていきます。その姿勢は大変スリリングで、私はまた自分の体験に当てはめながら読むことができました。

「こうやって話していると何となく分かってくるんだけど、しゃべっていることばが違うのよね」
-と、いいますと?
「いろいろがんばって説明しても、ことごとくそういう意味じゃないって意味で理解されてしまう」
-ああ、たしかにいまは日本語で話しているわけだけれど、実はまったくべつの意味体系が衝突している、と。僕なんかはその二つの狭間にいるという感じかな。
「そやって理解しようとしてくれる人は、時間はかかっても分かってくれる。けれども、全く別の言葉を話していて、理解する気もない人に分かってもらうのは本当に大変なのよね・・・・・・」 

「中動態の世界 意志と責任の考古学」ある対話からの引用-004

 それは、「すべての人は皆、基本的に平等な個人なのだから、個人は皆、身体と精神をより正確にコントロールし、よりたくさんの利潤を生み出すべし」という現代の資本制社会の前提に、一石を投じることになると私は感じています。本人の意志の強さ弱さとは無関係に、身体や精神は(特別な理由が無かったとしても)必ずしもコントロールできるものでは、ない。

 そして、利潤を生み出す競争はやめて「利他」に生きられる社会のデザインがほしい---。そう思っているのは私だけではないはずです。特に、上の世代が経済競争に勝つことをアイデンティティにし、その行く末を見てきたZ世代には、そう感じる人も多いのではないでしょうか?

 でも、実をいうと、私は、今回の「中動態」議論にはちょっと疑問も感じてもいるのです—。

 今回は、そんなトレンドワードの「中動態の世界 意志と責任の考古学」について、端的に解説したあと、なぜ夏目漱石は明治時代に『明暗』を中動態で書いたのか、この二作に共通する主題を考えます。では、さっそく拙筆ではありますが、「中動態の世界 意志と責任の考古学」を読んでいきましょう。

●解説『中動態の世界 意志と責任の考古学/國分功一郎』

 今日、私たちは「私」の「内面」から「意志」を持って能動的に起こした言動には、責任があるという世界観で生きています。能動的に動くとき、「私」は意志を持ってその行為を遂行しているように感じます。そしてそれは、私たちは、もし「私」が「内面」から意志を持って起こした行為が、悪しき、法に触れるものであった場合は罰せられ、責任をとらねばならない、という世界観でもあります。

 ですが、もしその悪しき行為が受動的に「させられた」行為であったとしたら、その責任は問われず、その罪は軽くなります。例えば、学生が授業中に居眠りをしており叱責されたとき、もしその学生が「実は両親を交通事故で亡くしており、幼い妹と弟のため、毎晩遅くまでアルバイトをしていた」場合、学生の罪は咎められない、もしくは情状酌量の余地があるとされるでしょう。

 これが、「能動態」と「受動態」の二項対立です。能動的に動く「主体」と、受動的に対象=「客体」から動かされる、「主体」と「客体」の二項対立とも言えるでしょう。

 でも、それって本当でしょうか? 人間にとって普遍のものでしょうか? 國分功一郎はそこに一石を投じます。そもそも、能動=「私が何事をかをなす」とは何でしょう?

 私はたえず何ごとかをなしている。しかし、私が何ごとかをなすとはどういうことなのか?
 歩くという例を考えてみよう。私が歩く。その時私は「歩こう」という意志を持ってこの歩行なる行為を自分で遂行しているように思える。
 しかし、事はそう単純ではない。

國分功一郎『中動態の世界 意志と責任の考古学』p15

 さらに「歩こう」という意志が行為の最初にあるのかどうかも疑わしい。
現代の脳神経科学が解き明かしたところによれば、脳内で行為を行うための運動プログラムが作られた後で、その行為を行おうとする意志が意識の中に現れてくるのだという。(中略)実際にはまだ身体は動いていないにもかかわらず、意志に沿って自分の身体が動いたかのような感覚を得る。

國分功一郎『中動態の世界 意志と責任の考古学』p17

 私が何ごとかをなすとき、私は意志をもって自分でその行為を遂行しているように感じる。また人が何ごとかをなすのを見ると、私はその人が意志を持ってその行為を遂行しているように感じる。しかし、「自分で」がいったい何をさしているのかを決定するのは容易ではないし、そこで想定されているような「意志」を行為の源泉と考えるのも難しい。

國分功一郎『中動態の世界 意志と責任の考古学』p18

 たしかに、能動=「私は意志をもって自分でその行為を遂行する」を因数分解したとき、その行為の源にあるはずの「意志」とは何か、その「意志」が湧き出す「私」とは何か、実はそれらは非常に定義が難しいものだとわかります。

 これは私の理解、補足ですが、そもそも「私(わたくし)」というものがはっきりと輪郭を持ち始めたのは、日本では明治20年代以降で、決して普遍的なものではありません。そしてそれは各人が各自の「内面」を言葉にすることで派生するものであり、普遍的に各人の内側に存在するものではありませんでした。

 國分功一郎は、「自分で」「意志を持って」が定義不能とはっきりと述べています。その上で、こう追記します。「だがそれにも関わらずそれを使わざるをえない」と。そして「それはなぜか?」と問いを投げかけます。そして「それは意志の概念のせいではないか?」と仮定します。

 すると、われわれは意志などという不確かな概念に依拠すべきではないし、意志など幻想であるから、そんな概念は投げ捨てねばならないと思われるかもしれない。 
 しかし、本当にそれで問題は解決するだろうか?

國分功一郎『中動態の世界 意志と責任の考古学』p24

 章の冒頭で、私は『学生が授業中に居眠りをしており叱責されたとき、もしその学生が「実は両親を交通事故で亡くしており、幼い妹と弟のため、毎晩遅くまでアルバイトをしていた」場合、学生の罪は咎められない、もしくは情状酌量の余地があるとされる』と述べました。國分功一郎は、この例を改めて取り上げ、こう言っています。

 

 これは言い換えれば、責任を負うためには人は能動的でなければならないということである。受動的であるとき、あるいは受動的であらざるをえないときには、人は責任を負うものとは見なされない。彼は睡眠時間を削ることを強いられる受動的な状態にあると判断された。それゆえに、責任を負わされず、叱責の対象から外されたのだ。

國分功一郎『中動態の世界 意志と責任の考古学』p25

 この例は、能動や意志といった概念が実に都合良く使われるものであることを示している。なぜならば、ある状況下では、幼い妹と弟のために毎晩アルバイトをするこの学生は、しっかりとした意志を有する人物であるとか、自分で考えて能動的に行動する人物であると評価されることが十分に考えられるからである。
 それに対し、たとえば、早く寝ることもできたのに(テレビゲームなどをして)ずるずると夜更かしした学生は、しばしば意志が弱い、受動的な人物と評されよう。にもかかわらず、その同じ彼が、授業中の居眠りのために叱責される段になると、突如として、自由に選択できる意志を持った能動的な人物に転ずるのだ。

國分功一郎『中動態の世界 意志と責任の考古学』p26

 ここからわかるのは、人は能動的であったから責任を負わされるというよりも、責任あるものと見なしてよいと判断されたときに、能動的であったと解釈されるということである。意志を有していたから責任を負わされるのではない。責任を負わせてよいと判断された瞬間に、意志の概念が突如出現する。

國分功一郎『中動態の世界 意志と責任の考古学』p26

 私たちは、「悪事を働いた者に、それをしようとした『意志』があった場合、その責任をその者にとらせる」という世界観で生きています。ですが、実際には、その者に責任を取らせて良いと判断した場合、「その者に悪事を働く『意志』があった」と解釈しているということです。

 その悪事が、学生の居眠り程度なら良いのです。ですが、その加害が、アルコール中毒、薬物依存だったら? そしてさらに、性犯罪、殺人であったら? 

 想像力を働かせてほしいのですが、もしあなたや家族や恋人が、暴力を受け傷付いた時、加害者に責任を取る能力が無い、よってそこに加害する『意志』は無かったと言われたら、あなたはどう思うでしょうか?

 私はおそらく正気ではいられないでしょう。そしてその加害者には、無理矢理(受動的に)加害行為をさせられた訳では無い限り、やはり責任をとらせるべきだと考えるでしょう。ひょっとしたら我を失って、加害者の事情を考える余裕を無くしてしまうかもしれません。

 このことは、意志の概念が引き合いに出されたり、行為が能動と受動とに振り分けられることには、一定の社会的必要性があることを意味している

國分功一郎『中動態の世界 意志と責任の考古学』p29

 これはつまり、能動と受動の二項対立、そして意志と責任の所在は、社会的に求められるゆえに定められている側面があるということ、決して普遍的なものではないということです。むしろ社会的必要性のために、ものごとは能動と受動に振り分けられている、思考の型にはめられているということです。

 一見したところ、先に言及した社会的必然性がこの問いに対する応えであるようにも思える。能動と受動の区別は、責任を問うために社会が必要とするものだったからだ

國分功一郎『中動態の世界 意志と責任の考古学』p32

 能動と受動の区別は(中略)、普段、われわれの思考のなかでまるで必然的な区別であるかのように作用している。したがって、この区別の外部を思い描くことは容易ではない。われわれは能動でも受動でもない状態をそう簡単には想像できない

國分功一郎『中動態の世界 意志と責任の考古学』p33

 そうして議論は、その根拠を求め、アリストテレス、パンヴェニスト、スピノザ、アレント、ハイデッガー、デリダと、中動態を巡る論理の冒険はすすんでいきます。

 中動態はあるときから抑圧された。能動態と受動態を対立させるパースペクティブこそが、この抑圧の体制である。われわれはこのパースペクティブの中にある言語を、尋問する言語と呼んだ。その言語は行為者に尋問することをやめない。常に行為の帰属先を求め、能動か受動のどちらかを選ぶよう強制する。

國分功一郎『中動態の世界 意志と責任の考古学』p195

 そして最後に、國分功一郎は、この一文で「中動態の世界 意志と責任の考古学」を締めくくります。

 われわれはおそらく、自分たち自身を思考する際の様式を根本的に改める必要があるだろう。思考様式を改めるというのは容易ではない。しかし不可能でもない。たしかにわれわれは中動態の世界を生きているのだから、少しずつその世界を知ることはできる。そうして、少しずつだが自由に近づいていくことができる。これが中動態の世界を知ることで得られるわずかな希望である

國分功一郎『中動態の世界 意志と責任の考古学』p294

 でも、前章で述べた通り、今回の「中動態」議論には私はちょっと疑問を感じています。それは、世界的にも孤立した言語である日本語において「中動態」を論じるのに、より主客がはっきりしたインドヨーロッパ語で構成された西洋哲学に事例や根拠を求めては、かえって主客二項対立、能動受動の世界観から出られなくなってしまうのではと感じたからです。

 もちろん、現代日本を生きる私たちは、主客二項対立がはっきりとした、近代以降の脱亜入欧ナイズされた日本語でしか思考することができません。よって西洋哲学に事例や根拠を求めるのは必然なのですが、私は実際に能動と受動の世界から脱獄し、「中動態の世界」に今日から生きる方法を探してみたいと思います。

●『即天去私/夏目漱石』

 では、どうすれば良かったか? どうすればより日本語において「中動態の世界」を感じることができるのか? 以下では、これらの問いを考えながら、最後に今日から私たちが「中動態の世界」に生きるために、私から提案があります。

 明治の人々の「近代的自己」の芽生えを描き、失われていく前近代、中世、そして明治を弔うように、誰よりも憂いた作家がいました。文豪・夏目漱石です。漱石が晩年取り組んだ思想「則天去私」は、漱石が早逝し、体系付けられた文献は残っておらず、現在の文壇では未完の思想だったと言われ、あまり重要視されていません。

 ですが事実、夏目漱石の未完の絶筆となった、『明暗』では、多くの登場人物の心理描写が中動態で行われています。そして、『明暗』が完成していれば、『即天去私』思想も完成していたと言われています。

 なぜ、漱石は「中動態」で「明暗」の登場人物の心理描写を行ったのでしょう? そしてなぜ、100年後の令和で「中動態」が論じられるのでしょう? 思いを巡らせてほしいのです。

 『明暗』は冒頭、主人公・津田が尻の穴に探りを入れられる場面から始まり、夫婦喧嘩、借金、親族とのいさかい、そして不倫未遂と、未完であることを差し引いても、登場人物たちの自我(エゴ)に振り回される救いようのない展開が続きます。(それを面白く読ませる漱石の筆の巧みさは筆舌尽くしがたいのですが。) 

 夏目漱石は元々は漢文や俳句といった江戸文化に造詣の深い文学者でした。そして江戸末期の生まれで、明治が始まり人々に「近代的自己」が生まれていく様を目撃しながらも、江戸時代の人々の感覚を持っていたと言われています。代表作『坊ちゃん』では、江戸っ子気風の前時代的な主人公と、明治のモダンな性質の人物たちの対立がコミカルに描かれています。

 そして漱石は国費でイギリス留学をし、「literature」を日本に輸入し、新聞小説で「文学」を連載することで日本人に近代的自己の芽生えを促した作家でもあります。江戸の感覚を持っていながら、実際には日本人に近代的自己=『私(わたくし)』を芽生えさせる最先端を担っていたのです。そしてそれは、“原理的には”すべての人々を平等な個人とする、資本制社会のスタートラインに日本人を立たせるというミッションの一端でした。

「先づ小生の考にては「世界を如何に観るべきやと云ふ論より始め、それより人生を如何に解釈すべきやの問題に移り、それより人生の意義目的及びその活力の変化を論じ、つぎに開化の如何なる者なるやを論じ、開化を構造する緒原素を解剖しその連合して発展する方向よりして文芸の開化に及ぼす影響及びその何物なるかを論ず」」

中根重一宛書簡、1902年、3月15日

 イギリス留学中、漱石はいかに「自己」「私(わたくし)」を確立するかという課題に挑みます。しかし、その苦悶は「夏目狂セリ」と称され、とても激しいものだったようです。

 現下の如き愚なる間違ったる世の中には正しき人でありさへすれば必ず神経衰弱になる事と存候。(中略)もし死ぬならば神経衰弱で死んだら名誉だらうと思ふ。時があつたら神経衰弱論を草して天下の犬どもに犬であることを自覚させてやりたいと思ふ。

鈴木三重吉宛書簡 1906年6月7日

 そしてその留学を経て、漱石は「自己本位」を獲得します。

 此時私は始めて文学とは何んなものであるか、その概念を根本的に自力で作り上げるより外に、私を救ふ途(みち)はないのだと悟つたのです。

私の個人主義

 私はそれから文芸に対する自己の立脚地を堅めるため、堅めるといふより新しく建設する為に、文芸とは全く縁のない書物を読み始めました。一口でいふと、自己本位といふ四字を漸く考へて、其自己本位を立証する為に、科学的な研究やら哲学的な思索に耽り出したのであります。

私の個人主義

 自己が主で、他は賓であるといふ信念

私の個人主義

 ここでいう自己本位=「自己が主で、他は賓であるといふ信念」とは、私は近代的自己の獲得であると解釈しています。私とあなたの間には「風景」があり、私とあなたは断絶していて同じ「風景」を見ている。遠近法的、一点透視図法的な世界の中心に『私』がいて(=自己が主体)その配置の中に『あなた』がいる(=他者は賓であり客体)、という世界観の確立です。主客が曖昧だった江戸時代生まれの漱石にとって、それは認識的転回(パラダイムシフト)であったでしょう。 

 そして、その認識的転回(パラダイムシフト)を文学上で展開するということは、それを読む日本人にとっても『私(わたくし)』と『世界』を立ち上げるということであり、近代的自己の獲得であったのです。そしてそれは、新聞小説という当時の最新メディアをインフラとし、拡大しました。

 そう、夏目漱石は、誰よりも早く主客二項対立、能動受動の世界観に立った日本人であり、すべての日本人を同じ世界観に立たせた作家であったのです。

 では、やっとの思いで獲得したその「自己本位」から、あらたに論考した「即天去私」とは何だったのでしょう?

  補足すると、漱石の「自己本位」は西洋的個人主義の受容ではありません。「他人の自己本位をも尊重する」という相互性の原理を含んでおり、日本的な配慮が加えられています。私はこれを、西洋的な個人主義の移植では無く、日本的な文脈の中で再構築された独特な近代的自我の形態だったと解釈しています。

 第一に自己の個性の発展をし遂げようと思うならば、同時に他人の個性も尊重しなければならないという事。第二に自己の所有している権力を使用しようと思うならば、それに付随している義務というものを心得なければならないという事。

私の個人主義

 そして、同じく「私の個人主義」の中で、「自己本位という其時得た私の考は、依然としてつづいてゐます。否、年を経るに従つて段々強くなります」と書いています。そしてその直後に「即天去私」と発言されたといわれています。私はこのことから、「即天去私」は自己本位=近代的自己の獲得のさらなる発展としてあると考えています。

 漱石は近代的自己の限界を認識し、それを超える新たな主体のあり方を模索する試みとして「即天去私」という境地を提示したのです。それは能役者が「我見(主観)」を離れて「離見」という視点を求められることに似ています。「離見の見」とは、「我見」という一人称主観のなかにヴィジョンとして想念された客観視点、いわば主客超越視点です。

 吉本隆明は、「明暗」の登場人物たちを「救いがたい」と評した上で、あらゆる人物を『一視同仁に描いている作者というものの中には、一種の「天」に即する要素がなければ、救いがたい人物ばかりを描写することはできない』と書いています。つまり、ここでいう「天」とは、作者である漱石の視線です。「天」の視点から救いがたい人物たちを眺めながら、ジャッジすることなく(つまり、意志と責任の所在をだれかに探すことなく)描写したとき、夏目漱石は登場人物たちの心理描写を「中動態」でおこなうことになったのです。

 この境地は、主体と客体の明確な分離を前提とする近代的世界観を超えて、両者が融合する中動態的な存在様態を指しています。『明暗』他、漱石の後期作品における豊富な中動態的表現は、この新たな存在様態を文学的に表現する試みだったのです。

 そして國分功一郎が「中動態の世界」を書いたのは、「近代的自己」の限界を感じつつ、かといって『私(わたくし)』や自我(エゴ)を今さら放棄できない私たちに可能性を提示するためだったと私は感じています。

 私は、この2人が、同じ主客二項対立からの解脱、『私』と『あなた』からの解脱として、「即天去私」「中動態の世界」を書いたと考えています。

 「後期資本主義」「ポストモダンの次」、なんて言葉が聞こえる2025年。令和の哲学者によって「中動態の世界」が論じられることに、私は運命めいたものを感じずにはいられません。

●「中動態の世界に生きるには?」

 余談ですが、夏目漱石の『夢十夜』の話をさせてください。この第一夜で、漱石は失われていく古来の日本の美と、その回帰を描いたといわれています。

 こんな夢を見た。
 腕組みをして枕元に坐っていると、仰向けに寝た女が、静かな声でもう死にますと云う。(中略)
 死ぬんじゃなかろうね、大丈夫だろうね、とまた聞き返した。すると女は黒い眼を眠そうにみはったまま、やっぱり静かな声で、でも、死ぬんですもの、仕方がないわと云った。(中略)
「死んだら、埋めて下さい。大きな真珠貝で穴を掘って。そうして天から落ちて来る星の破片(かけ)を墓標に置いて下さい。そうして墓の傍に待っていて下さい。また会いに来ますから」(中略)
「百年待っていて下さい」と思い切った声で云った。
「百年、私の墓の傍に坐って待っていて下さい。きっと逢いにきますから」

『夢十夜 第一夜』

 そうして長い時を、女の墓の傍で過ごした主人公の目の前に、あるとき青い茎が伸びてきて胸のあたりで留まります。そして蕾が顔を出し、やがて真っ白な百合の花が開き、主人公はその花弁に接吻します。そして主人公は「百年はもう来ていたんだな」と気付くのです。

 明治天皇が崩御し、明治が終わったのが1912年。そして、國分功一郎の「中動態の世界/意志と責任の考古学」が出版されたのは2017年です。おそらく、その構想はその数年前からあったことでしょう。その間約百年。これは偶然の一致でしょうか? 夏目漱石が、近代化の波に流されていく日本人の感性を見つめ、百年後に眠りから目を覚ますように回帰すると、予言したのが的中したように読めるのは私の考え過ぎでしょうか—?

 最後になりますが、私たちが「中動態の世界」に生きるため、今日からすぐできる、少し具体的な提案を加えさせてください。

 古き良き時代の日本人の世界観を、少しだけ令和の生活に取り入れてほしいのです。

 それは、「おたがいさま」「利他」に生きることかもしれません。「シェアリングエコノミー」を活用してみることかもしれません。古来の仏教や神道、もしくは武道を学ぶことかもしれません。瞑想の時間を作り「すべての生きとし生けるものと、私の心の平穏を分かち合うことができますように」と祈ることかもしれません。私は、ジョアンナ・メイシーの「つながりをとりもどすワーク」を学んでいます。 

 私たちは今さら「近代的自己」=『私(わたくし)』や『自我(エゴ)』を完全に捨て去ることはできないでしょう。ですが、漱石が思い描いた、高次にバージョンアップさせた前近代的な日本人の世界観を、2025年の私たちなら、受容できると思うのです。「ウェルビーイングだとか何とか言って、資本制社会と共存しながら、まんざらでなく楽しめるのでは?」などと、私は思っています。

参考文献

・「中動態の世界 意志と責任の考古学」國分功一郎‐医学書院

・「明暗」‐夏目漱石‐新潮文庫

・「哲学する漱石 天と私のあわいを生きる」‐長谷川徹‐春秋社

投稿者プロフィール

サトウサオリ
サトウサオリ
小説家・フリーライター。2025年は、日本各所に同時多発的に発足したポスト近代的なコミュニティをフィールドワークする予定。血縁に縛られず、共に暮す人を家族と思ってみる社会実験「拡張家族Cift」に参加中。好きな研究者は、柄谷行人、大塚英志、渡部直己、國分功一郎、河合隼雄などなど。
SNS
note
X
facebook