はじめに
『ミュウツーの逆襲』に登場するミュウツーは人間ですか?
こう尋ねられたらポケモン(ポケットモンスター)です。と答えるのが通常だろう。しかし、哲学・生命倫理学の世界ではミュウツーは限りなく人間に近い存在、生きる権利を持った存在と言えるのである。
それが「パーソン論」という論理だ。今回はミュウツーを取っかかりに、パーソン論を考えていこう。
1.人間とはなにか
ミュウツーは人間ですか? と尋ねられた場合どうするのが学問か。まずミュウツーが人間であるか否か、ということを考察するためには、人間とはなにかということを考えねばならないのである。では「人間」という存在はどのように定義できるであろうか。皆さんも一緒に考えてみてほしい。
- 人間とは2本の足で歩く生き物である
- 人間とは言語 (手話などを含む)でコミュニケーションを取る生き物である
- 人間とは人間の遺伝子を持った生命体である
この仮定をミュウツーに当てはめてみよう。①ミュウツーは2本の足で歩くことができる、②ミュウツーはテレパシーで言語を使ってコミュニケーションを取ることができる、③『逆襲』本編では人間の遺伝子を組み込まれているかは定かではないが、外見的には人間と類似した部分がある。またポケットモンスターシリーズの他作品ではミュウツーに人間の遺伝子が組み込まれたことが明言されている。1
さてこうして見てみるとミュウツーは人間と言えるかもしれない。しかし、これらの定義 は確かに人間の定義の必要条件かもしれないが、絶対条件とは言えない。例えばチンパンジーなどは2本の足で歩くことができる。彼らなりの言語的コミュニケーションをすることもできる。遺伝子的に見ても97 %は人間と変わらないと言われている。しかしチンパンジーは人間ではない。つまりこの仮定だけでは人間かどうかは判断しきれないのである。ではパーソン論を用いるとどうだろうか。次項で見てみよう。
2.パーソン論とミュウツー
まずパーソン論について簡単に定義をすると〈意識や思考能力など(=「パーソン person」「人格」)こそが、人間の人間たる所以であり、このパーソンの有無が生物学的ヒトと人間(あるいは生きる権利・価値のある存在と無い存在)とを分け、パーソンを持つ人間にのみ価値や生命権を認める〉という形となる。このパーソン論は「現代の英語圏の影響力のある生命倫理学者たちは、パーソン論を採用するか、あるいはパーソン論に共感的な姿勢を示している」と言われるほどに、強い影響力を持つ理論である[森岡 2001:106]。
もう少しその理論を詳しく見てみよう。パーソン論を初めて世に出したとされるマイケル・トゥーリーは、パーソン=生命権=自己意識要件としており、生命権「を備えているのは経験やその他の心的状態の持続的主体としての自己についての観念をその有機体が備えており、なおかつ、その個体が自らをそのような持続的実態であると信じている場合のみに限られる」としている[トゥーリー 2001:89-90]。
もう一人パーソン論の極点とされるピーター・シンガーの理論を見てみよう。彼は脳死問題を解決するためには「無垢な人間の生命を奪うことは悪いことだという発想を問題にする必要がある」とし、動物より人間を殺すことの方が悪いとする理由を「自己意識もしくは未来のための計画を立てる能力」ではないかと示唆する。これにより、その存在は、自身が「生命」を持ち殺害されることでそれが失われることを理解し、それにより妨げられた未来を欲求する能力を持つのである[シンガー2006:251(398)-250(399)]。
彼らの意見に共通するのは、「自己意識」を持った者こそ「生命権」を持つ存在ということである。確かにヒトのDNAを持っていればホモ・サピエンスではあるが、自己意識がなければ生命権を持った「人間(パーソン)」ではない。よって自己意識の無い胎児の中絶や、脳死者からの臓器移植は倫理的な問題は持たないということになる。2
この理論を先の「人間」考察に当てはめると、①②③の内①と③はまだホモ・サピエンスではあるがパーソンではないかもしれない。ではミュウツーに自己意識はあるのだろうか?
そもそも自己意識(self-consciousness)とは、哲学用語で「自己自身に関する意識。諸体験の統一的主体としての自我の意識。自意識。自覚」のことを意味する[岩波書店 2008、2009『広辞苑第六版』]わけだが、ミュウツーは作中でたびたび「わたしはだれだ」「わたしはなんのためにうまれたんだ」「わたしは……なんのために生きている?」「我々は生まれた…生きている…生き続ける…」といったセリフを述べている[田尻等 2006:8、12、18、19、143]。
ミュウツーがこういったことを考えることが出来るということは、ミュウツーが「私」即ち「自己」という概念を理解し、意識していることの表れである。また「生き続ける」という発想はシンガーの言う所の「未来のための計画を立てる能力」があることの証明である。よってミュウツーは自身が「生命」を持ち殺害されることでそれが失われることを理解し、それにより妨げられた未来を欲求する能力を持つと言えよう。
以上のことから、ミュウツーはパーソン、すなわち自己意識と生命権を持った存在だということが可能になるのである。
参考文献
シンガー・ピーター著 樫則章訳 1998『生と死の倫理:伝統的倫理の崩壊』昭和堂
シンガー・ピーター著 滝沢正之訳 2006「生死の意思決定における倫理観の変更」『死生学研究』8号(2006年秋号):257(392)-240(409)
田尻智原案 石原恒和監修 2006『劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲 ルギア爆誕』小学館
トゥーリー・マイケル著 神崎宣次全訳 2011(1972)「人工妊娠中絶と新生児殺し」江口聡編・監訳 2011『妊娠中絶の生命倫理』勁草書房
日下秀憲 1988『ポケットモンスタースペシャル3』小学館
森岡正博 1988『生命学への招待』勁草書房
森岡正博 2001『生命学に何ができるか』勁草書房
投稿者プロフィール

- 生命倫理相談所運営者 京都府立医科大学研修員 生命倫理学と宗教学が専門 好きな研究者は、冲永隆子、森岡正博、小松美彦、立岩真也など
SNS :X
最新の投稿
zinbun解説2025年6月7日ミュウツーでわかる「パーソン論」 コラム2025年5月10日立岩真也『良い死』との出会い zinbun解説2025年4月12日解説 反出生主義